巡り会いの中で生きてく
また人を少し好きになる・・・
出会いのかけら それを磨けば
これからも無数に芽生える種が
ケツメイシ「出会いのかけら」
〝であい〟をどう書きますか。一般的には「出会い」でしょう。あるいは「出逢い」や「出合い」と書く場合も。でも、今回は〝出遇い〟と表記したいと思います。
今月のことばは、音楽グループ、ケツメイシの「出会いのかけら」(2008年1月リリース)から。「巡り会い」を〝巡り遇い〟に、「出会い」を〝出遇い〟にちょっぴりアレンジして。
昔から好きだった曲ですが、この前、久しぶりに卒業生たちと再会した場で流れ、改めてその歌詞に感じ入ることがありました。多くの人との巡り遇い、出遇いの中で、私たちは生かされながら生きていく―。仏教的だと言えば、少し強引でしょうか(笑)
こんな歌詞もあります。「逃げずに自分の事も好きになっていく」、「一人一人 皆 懸命に生きてる その中で 人と人は出遇い」、「痛みを知って 優しくなれる」、「人と人が繋がって やがてそれが形になって」、「出遇いとは不思議なもんで」、「共に涙を流す日もあれば 共に大声で笑う日もある」、「君はもう一人じゃないよ ずっと 永遠に ずっと」。
何か心に響いてきませんか。
「出遇いを大切に」。これは、高校卒業の日、私が恩師からもらったことばです。その恩師との出遇いの縁が、その後の私の人生の支えになっています。「遠く宿縁を慶べ。……遇ひがたくしていま遇ふことを得たり」(『教行信証』総序)という一節を折に触れて思い返すとき、あの時の恩師のことばが重なります。
個人的なことは、社会的なこと―。だから、恩師から預かったことばを在校生のみなさんに、そして卒業していくみなさんにお渡ししたい。生きる意味や、自分自身の存在意義を問うことも大切なのかもしれません。でも、ただ今ここに存在しているということ。多くの尊い縁が重なりあって、私たちは生かされながら、生きている。今は誰もが、何にでも、意味を求めたり、意味を見つけたがるけど、ただ存在することそれ自体の尊さがあると私は思いたい。だから、できなくても、頑張れなくても、それぞれの存在自体を認め合い、「大丈夫だよ」と支え合っていく―そうした関係性が、この学び舎を通して無数に築かれていることを願っています。
〝出遇い〟は、人でなくてもいい。心を動かされる本に出遇ったり、熱中できる趣味に出遇ったり、好きな音楽に出遇ったり……。それぞれの今の立ち位置で、これまでの、そしてこれからの〝出遇い〟に思いを致してみてください。
3月3日の卒業の日(水平社宣言102年目の日)を機縁として、私も生徒のみなさんとの〝出遇い〟をかみしめたいと思います。
文責:宗教科